和食器ギャラリー

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和食器ギャラリー


『食器は料理の着物である』美食家として知られる北大路魯山人の名言ですが、
その言葉通り、和食において食器は料理を供すのに欠かせないのはもちろん、料理の味や香り、盛り付けなどを引き立てます。
当店ではそんな器を骨董品を中心に揃えております。
古伊万里、九谷焼、民平焼きなど江戸時代から明治、大正、昭和の時代の器を取り揃えております。
こちらでは京都の骨董品屋さんを中心に集めた骨董品の器をご紹介させて頂きます。





■大聖寺伊万里 角変形皿
大聖寺伊万里は、明治初期から昭和にかけて、旧大聖寺藩の地域で国内外からの注文に応じて大量に生産されました。江戸初期・元禄時代の黄金期の伊万里焼の上手を本歌取りして作られた作品が多く、本物より本物らしいといわれるほどの美しさです。写しとはいえ、大聖寺伊万里という九谷焼の一つのジャンルを築いたといえます。

■印判 麒麟 鳳凰 桐
麒麟は中国古代の想像上の動物で、竜、鳳凰、亀とともに四霊獣の一つとされました。 牛の尾、馬の蹄(ひづめ)、五色で彩られた体をもつ麒麟は、翼を広げてよく飛び、武器であるその角は先端が肉で覆われているため、相手を傷つけることがないとされました。 鳳凰は想像上の鳥で、体の前は麟(りん)、後ろは鹿、頸は蛇、尾は魚、背中は亀、顎は燕、くちばしは鶏に似ているといわれています。桐の木に宿り、徳の高い君子が天子の位につくと現れる瑞鳥とされました。古代中国から伝わった鳳凰は、日本文化においても尊ばれてさまざまな装飾に使用されています。 桐は古来から縁起の良い木、幸福をもたらす木として尊ばれています。世界にも桐は皇室に縁の深い木として尊重されてきました。中国では、仏教によくでてくる鳳凰がとまる木として縁起のよいことで有名です。 日本でも桐の紋は、古くから家紋の最高使用順位の第1位として天皇家で使用されてきました。菊と同様に朝廷の木でありました。 後醍醐天皇が足利尊氏に桐の紋を送った話は有名です。 豊臣秀吉の紋、太閤桐もよく知られています。

■切込焼き
江戸時代の後期から明治時代の初め頃まで、宮城県加美郡加美町の切込地区を中心に生産されていた陶磁器を切込(きりごめ)焼と呼びます。 仙台藩の御用窯として上質な製品を焼く一方、庶民向けの日用雑器も大量に生産していました。なかでも白い地に藍色で模様が描かれた染付磁器が、その大半を占めています。有田焼に見られるような純白の地肌ではないものの、かえってそれが温かみのある素朴な魅力となり、多くの人々の心をひきつけてきました。しかし、その歴史はまだ謎に包まれたままで、今後の調査・研究に期待されています。

■絵唐津 陶片 桃山期

■藍九谷 瓢箪から駒
「瓢箪から駒」の「駒」は実は「馬」のことです。昔、中国の仙人「帳果」が各地を白馬に乗り放浪していた時のこと、旅の疲れを癒すために休憩をするも、大きな馬の存在に困り果て、挙句の果てに馬を小さな瓢箪の中に入れてしまったという話です。そして、旅を再開する時、また大きな馬を小さな瓢箪から出したことから「とんでもないことをする」意味で「瓢箪から駒(馬)」という表現をし、広く使われるようになったと言われています。

■佐賀 武雄 陶片 17世紀後半
古武雄は古唐津の流れを汲む焼物です。白化粧を施した素地に茶と緑の絵の具で描く鉄絵緑彩。赤土に白土を埋め込む象嵌。緑と茶の釉薬が柄杓掛けされた緑褐釉と緑褐彩。その他、刷毛目、刻花、印花、貼花、多様な文様技法が特徴です。

■唐三彩(とうさんさい)とは、唐時代(7世紀〜10世紀)の陶器です。金属を顔料に、酸化の炎色反応を用いて彩色されます。基本的に三色の組み合わせが多いことから、三彩と呼ばれています。 唐三彩の形状は、人物、動物、器と大きく3つに分かれ、武将や貴婦人、馬やラクダ、壺やお皿などをかたどったものが多く発掘されています。主に王侯貴族の墓へ、埋葬するために作られました。 唐三彩はシルクロードを通り、1200年~1450年ごろにかけて、シリアやキプロス、イタリアに伝来しました。東アジアにも広がり、日本では奈良時代に遣唐使らが唐三彩の知識を持ち帰り、奈良三彩が作られたとされています。しかし、唐三彩は時代の流れとともに作られなくなりました。現在中国では第一級国宝として、発掘されたものは、博物館で大切に保管しています。

■九谷焼 民山窯 盃台
民山窯は、文政5年(1822)、加賀藩士 武田秀平が金沢に興した窯です。美術工芸品を愛でる秀平は、青木木米が京に戻ってのちも春日山窯が木米好みの呉須赤絵や日用雑器の染付を焼き続けいたものの、やがて閉じられたことを惜しみ、春日山窯を再興することを思い立ったといわれます。これより3年後に吉田屋伝右衛門が古九谷の伝世品を見て再興の思いに至ったのと同じように、一介の藩士が陶業を興したその情熱は相当のものであったといえます。  本窯は、春日山窯の本窯を復興したのか、春日山の秀平自身の持地に新築したのか定かでないのですが、錦窯は金沢の里見町の自邸に数基を築きました。秀平は器種を考えることを行い、多数の職工・徒弟を抱えて、天保年間(1830~1843)、大いに生産し、製品は広範囲にわたり販売されたようです。この窯の作品が江戸の加賀藩邸の遺物の中からも見つかっております。  しかしながら、弘化元年(1844)、秀平が没すると、窯は廃絶しました。

■青磁 陽刻牡丹文様長皿

■古九谷 染付 紅葉鳥文皿 江戸前期

■古伊万里 阿蘭陀人 向付 江戸後期

■犬山焼 呉須赤繪福字中皿

■志田窯 中皿 大根にネズミ 幕末

■伊万里 釣り人文膾皿 江戸後期

■加賀 前田家伝来 時代漆塗り三つ足大盆   朱と黒の掻き分けがモダンです。帆掛け船は北前船でしょうか?
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■伊万里 陽刻人物双象文小鉢 
江戸中期(18c後半)
『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物です。 舜王(しゅんおう)の故事 舜は大変孝行な人で、父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟はおごった能無しでした。しかし舜は、ひたすら孝行を続けました。舜が田を耕しに行くと、象が現れ田を耕し、鳥が来て田の草を取り、農作業を助けました。その時の皇帝が堯王で、王は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ皇帝の座を舜に譲りました。これも孝行の心が起こした奇跡です。
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■18世紀後半 伊万里の最上手です。
『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物です。 楊香(ようこう)がある時、父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとします。 楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願いました。 するとそれまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かりました。
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■染付 微塵萩唐草 江戸中期
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■三田青磁 稜花 寿老人と唐子


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■音羽焼(おとわやき)
音羽焼(おとわやき)は京焼の一種でその源流に当たるものとされています。 天正(1573-1592)または文禄(1592-1596)の頃に音六、音羽屋九七らが始めたとされ、享保年間(1716-1736)に窯を五条坂(東山区)に移して「五条清水焼」といいました。


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■京都名所絵替 吸物椀
源内焼(げんないやき)は、江戸時代中期に平賀源内の指導によって讃岐国の志度(現在の香川県さぬき市志度)、及びその周辺で製作された三彩の陶磁器です。実用性よりも鑑賞本位に制作されました。


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■源内焼(げんないやき)
江戸時代中期
源内焼(げんないやき)裏面
源内焼(げんないやき)は、江戸時代中期に平賀源内の指導によって讃岐国の志度(現在の香川県さぬき市志度)、及びその周辺で製作された三彩の陶磁器です。実用性よりも鑑賞本位に制作されました。


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■加藤春岱
加藤春岱
加藤春岱
幕末の瀬戸の陶工。赤津御窯屋の家に生まれる。幼いときから陶芸に秀で,文化13(1816)年15歳で父景典の跡を継ぐ。 30歳前後に11代尾張(名古屋)藩主徳川斉温から「春岱」の号を拝領したという。 瀬戸で磁器を創始した加藤民吉に対し陶器を守る春岱は,伝統の瀬戸焼に赤絵や織部・志野の技も加え,陶胎に赤・白・黒で下絵付けした,いわゆる麦藁手にも長じていた。瀬戸焼では従来の伝統的な陶器を“本業”というが,春岱はその最後の名工のひとりである。作品には「春岱(花押)」と書き込み,伝統的な技術者であることを自負した。


和食器
■民平焼き 三彩 龍紋 豆皿
民平焼き 三彩 龍紋 豆皿
民平焼き 三彩 龍紋 豆皿

和食器
■平戸焼 牡丹に蝶 江戸後期
平戸焼 牡丹に蝶 江戸後期
平戸焼 牡丹に蝶 江戸後期

和食器
■古伊万里 山水文 江戸期
古伊万里 山水文 江戸期
古伊万里 山水文 江戸期(裏面)

和食器
■古伊万里 花唐草 輪花皿 江戸時代中期 (表面)
和食器
古伊万里 花唐草 輪花皿(裏面)
和食器
古伊万里 花唐草 輪花皿(側面)

和食器
■古伊万里 色絵陽刻青海波文様 四方皿(表面)
古伊万里 色絵陽刻青海波文様 四方皿
和食器
古伊万里 色絵陽刻青海波文様 四方皿(裏面)

和食器
■珉平焼長皿 江戸後期〜幕末(表面)
珉平焼長皿 江戸後期〜幕末
珉平焼長皿(裏面)

和食器
■染付変形貝文様(海底図)のお皿
江戸後期頃のお皿です。
染付変形貝文様(裏面)

和食器
■伊万里焼 赤絵 向付 
江戸中期頃のお皿です。
伊万里焼 赤絵 向付(裏面)

和食器
■源内焼き 江戸時代
陽刻扇面皿(左)、輪花皿(右)
源内焼き(裏面)

和食器
■ニ彩 銚子 江戸後期
二彩 杯台 江戸後期〜明治
龍紋 盃  江戸後期〜明治